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現実は残酷だった

西陵ナインはそれぞれ項垂れてベンチへ戻っている

「4点負けていたって、まだ試合には負けていないぞ」
渡島はそう声をかけているが、誰一人それに応える元気があるものはいなかった
浩臣は一人、タオルを被って下を向いていて声をかけることすら出来ない状態
渡島はそれを見て、あるひとりの選手を呼ぶと何か指示を出している

そして、恒星のマウンドには見たことがない外国人がマウンドに上がっていた
『恒星高校の選手の交代をお知らせします。ピッチャー山口くんに代わりまして、ロック・オーク・メスナくん』
謎のメンバー、R・メスナがここで降臨していた

今まで隠し通してきた助っ人留学生といったところなのだろうか、投球練習の球はとんでもないスピードボールで1球投げるごとに恒星スタンドから歓声が上がるほど

『9回裏西陵高校の攻撃は、4番キャッチャー千原くん』
コールがかかり、千原はよっしゃと吠えて打席へ向かう
少しでもメンバーを鼓舞しようとしてのそれなのだろうが、完全に西陵ベンチは葬式状態と化してしまっている

メスナのストレートは相当速そうだったが、千原は見事にジャストミートしてみせる
三遊間抜けたと思った当たりだったが、坂本がそれを難なく捌くと一塁へ矢のような送球
千原も鈍足を飛ばしてヘッドスライディングをみせたが悠々アウトであと2人となってしまう

恒星スタンドから“あと2人”コールが鳴りやまないまま、打席に向かった樋口はメスナに完全に遊ばれてフォーク、ストレート、フォークであっさり見逃し三振

“あと一人!”
恒星側の熱狂は最高潮に達していた

『6番ピッチャー伊藤くん』
コールがかかったが、浩臣はベンチでタオルを被って下を向いたまま
ネクストで仮に待機していた賢人がベンチに戻るが、浩臣は立とうとしないし誰も声をかけられない様子

「やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだろう」
渡島が珍しく大きな声でそう話すと、ベンチ裏にいた選手を呼んでいる

バットを持って出てきた冬井をそのまま打席に向かわせ、「自分を信じることだ。自信の無い者に戦う資格は無い」と喝を入れている

初球フォークを見逃してボール、2球目高めストレートに全くあう気配のない空振り
これでメスナは舐めてかかってきた
ど真ん中に半速球を投げ込んで来ると、冬井はそれをフルスイングした

カキーンという快音と共に、打球は三遊間真っ二つで坂本、大嶺が一歩も動けないそれ
2死から一人走者が出て、にわかに戦況急をを告げる状態へ

賢人が代走行ってきますと飛び出しかけるのを渡島が制し、那間に何事か指示を出して球審の元へ走らせている

『1塁ランナー冬井くんに変わりまして、御部くん』
ヒットで出た冬井と、“1塁ベースコーチ”の御部を入れ替える渡島マジック
那間より御部のほうが足が速いのは確かだが、純粋に足が速いだけなら賢人を使えばいいだけの話
渡島はまだ、この試合を諦めてはいないということなのだろう

「近藤、ブルペン付き合って。延長に備えないと」
静かに戦況を見守っていた右内が急に立ち上がると、控え捕手の近藤にそう呼びかけている
普段からあまり自己主張をするタイプじゃない右内の急な申し出に近藤が戸惑っていると、千原が高笑いをしてそれに呼応する

「近藤は出番あるかもだからな、俺が付き合ってやる。打順が俺に回るのは延長だからな」
言って、ナイスバッティング!とベースコーチに回った冬井に大声をかけていた

必ずこの回追いつくぞ! と叫んで、千原は右内と共にベンチ裏のブルペンへ向かって行く
球場の空気が変わった気がした
これは絶対に打席が回って来る、そう確信した竜也は“ルーティーン”を開始しようとした矢先だった

「杉浦、ちょっといいか」
顔面蒼白な和屋が打席に向かう前にそう呼んできたので、竜也はアレを解いてその場へ赴いている

「さっきのエラーを取り返さないとダメなのに打てる気がしない。お前ならどうする?」
今まで一度もされたことがない相談だった
人に教えるのが基本苦手な竜也なだけに、いささか難問なそれ
しかし何とかしてもらわないとダメなのも当然なので、どうしようかと逡巡した結果“自分ならこうする”を伝授することにした

「俺よく言ってるじゃん。左バッターはショートの左に転がせば6割ヒットだって。んで和屋ちゃんは打率2割だから、それ足せば8割。いつもより2倍速く走れば16割の確率でヒットになるんだぞ」
“ウォーズマン理論”で励ますと、和屋の目に闘志が沸き上がり始めている

「やってやるって!」
言って、和屋は自分のケツを叩いて自身を鼓舞し始めている
その和屋に竜也はもう一つ付け加えて、「内と低め捨てて。外の真っすぐを坂本の左に転がせばいける。御部を刺そうと2塁のカバーに入るはずだから」と今度は真面目なアドバイス

竜也がサムズアップポーズをしてベンチへ戻ると同時、ネクストに万田が向かっている
そして和屋は雄叫びを上げながら左打席へ向かった

初球。竜也のアドバイス通りに来た初球の外角ストレート、和屋は素直にそれをショート方向へ運んだ
打った瞬間、坂本は本能的にセカンド方向へ進んでしまったので少し遅れての打球処理
会心の当たりではなかったのが幸いし、和屋は懸命に駆けてまるでダイビングをするような1塁へのスライディング
坂本は送球を諦めるレベルのそれで、和屋は1塁塁上で雄叫びを上げてのレインメーカーポーズ

西陵ベンチ、そして西陵側スタンドからはにわかに歓声がまた起こり始める
何かが起き始めている。何かが起きる、的な予感

竜也は例によってモードに入っているのだが、再びそれを解かれることになる
万田に呼ばれ、再びアドバイスを求められている

「相手はストレートに自信あるんだから、とにかくそれを強く叩こうぜ」
シンプルな助言に万田は頷くと、祐里のほうを見てちらっと笑った
祐里は戦況に夢中でそれに気づいておらず、思わず苦笑していたが万田は必ず借りは返してくるわと力強い言葉

こちらも初球だった
インコースに来たストレートを、万田も迷わずにフルスイングする
どん詰まりのそれはセンター前に弾み、好スタートを切っていた御部は悠々とホームへ還って来る
和屋は2塁で自重したが、ランナー1,2塁のチャンス到来
竜也が静かにネクストへ向かうと、今度は安理が頭を下げかねない勢いで懇願している

「石に這い蹲ってでも君に繋ぐつもりだが、僕の打率は0だ。なあ、どうすればいいと思う」
ベンチに残る野手は少ないうえに、延長まで見据えるとここで安理への代打はない場面
安理は代打を送ってほしいのか渡島に視線を送るが、渡島は静かに首を振っている

竜也はまた逡巡するが、やがて安理の右肩をポンと叩いた
「外と低めは捨てようぜ。内か真ん中よりの高め一本で行ける。あと、際どいのは全部捨てて。さっきの伊藤くんの判定で厳しいとこ取りづらいと思ってるはずだからな。まあ甘いコースが来たら迷わず振れよ、振ればわかるさ」
1,2,3、ダーな感じで激励すると、安理は覚悟を決めたようでバットを持って打席へ向かって行く
竜也はいつものようにバッティンググローブを嵌めようとし、先程の打席で破れたことを思い出してベンチへ戻ることに

挙動不審気味の竜也に祐里はすぐ気づき、どこからか新しいバッティンググローブを取り出すとそれを手渡してくる
「買っておいてよかった。頑張れ、男の子!」
言って、祐里は満面の笑みで竜也を送り出す
静かに右拳を掲げるアレをしてみせ、竜也はネクストへ戻っていく

“ラーラーラララ… 安理 ラーラーラララ… 安理 ラーラーラララ… オー オイ オイ オイオイオイ”
ゆけ ゆけ 安理 打て 打て 安理 ゆけゆけそれゆけ かっとばせ安理!

悲鳴のような大歓声とともに、安理を後押しする大応援が再び巻き起こり始めている

安理への初球は外へのスライダー
指示通りそれを見送ると判定はボールで、2球目は内に速いボールが来て強振するもファウル
3球目のチェンジアップを見送ると今度はストライクで、4球目は高めの釣り玉が来るもこれを安理は見送る

そして勝負の5球目
外角低め、絶妙のコースへ来たストレートを安理は一瞬ピクリとしかけたがそれを見送った
自信満々に見送ったように見えたのか、それとも先程の浩臣の判定からのこの展開を反省したのか
審判の手は上がらずにボールでフルカウントへ
6球目のフォークは大きく外れ、それも見送った安理はバットをその場に置いて力一杯のガッツポーズ

ヨッシャーと叫びつつ安理が1塁へ向かうと同時、渡島は賢人を呼んで1塁へ走らせた

『1塁ランナー千葉くんに代わりまして、ビッグブラウン賢人くん』

同点のランナーとなった安理に代え取って置きの代走が送られると同時、恒星ベンチは最後のタイムを取る
指示はすぐに終わったようだが、坂本は一人呆れた表情で守備位置に戻りつつメスナに頑張れーと声をかけている

『1番セカンド杉浦くん』
コールがかかり、竜也は静かに打席に向かう
“6打席目”が来ると思っていなかったので曲を仕込んでいなかったのだが、スタンドから歌声が流れ出している

“世界が終わるまでは 離れる事もない
そう願ってた 幾千の夜と
戻らない時だけが 何故輝いては
やつれ切った 心までも 壊す・・・
はかなき想い・・・ このTragedy Night”

美緒が歌い出したのか、それとも光なのか。はたまた未悠からなのか、それは誰もわからない
ただ一つだけ言えるのは、いつの間にか西陵側スタンドが一体となって自然発生的に竜也を後押しする曲を歌っっている
16万5千人のファンの皆さん(パンチ佐藤ism)、ありがとうございます!

球場の空気は完璧に二分されている
あと一人コールを必死に続ける恒星側、そして同点..逆転を信じる西陵側

“諦めなければ、きっと光は見えてくる”

はかなき想い...いや、はかない夢だな。遠いわ甲子園...
竜也はいつものように天を見上げている
どう見ても勝ち確の展開が一変して、もうダメだというところからの起死回生チャンス
竜也が打席に入ろうとした矢先、捕手が立ち上がると外野手に何か指示を出している

ライトの柿澤がショートとセカンドの間に入り、左中間鈴木、右中間塩見というとんでもないシフトを敷いてきた
メスナの球威でねじ伏せてやろうという采配なのだろう、まさかの内野5人シフト

“No me importa.”

かっとばせ 竜也!
かっとばせ 竜也!
ウ〜 Yeah!
頑張れ僕らの西陵 走れ速く
頑張れ僕らの西陵 決めろ早く
【男声】
打って 打って 杉浦!
【女声】
打って 打って 竜也!
【全員】
今だチャンスだ竜也!

とっておきのチャンステーマ、チキチキバンバンがスタートしている中、メスナの投じた初球、まさかの落ちないフォークがド真ん中へ
恒星ベンチ、そして恒星側応援団は一斉に目を覆いたくなるボールだったが竜也はまさかの空振り
一気に盛り上がる恒星側、そして一斉に溜息の西陵側

竜也は思わずふぅと大きく息を吐くと、一旦タイムを要求して打席を外した
京介からスプレーを受け取りバットにかけ、いつものようにバッティンググローブを嵌め直そうとした時だった

ん? と何か違和感を覚え、それをよく見ると...

マジかよ、と竜也は思わず笑みがこぼれていた
手袋と同じ色で、小さく見えないように刺繡が施されていたのだから


『Thank You』、と


いや、それこっちのセリフだよと竜也は内心激しく突っ込んでいる
俺がここまで野球部で頑張ってこれたのは祐里のおかげ、いや違うな
こうやっていろいろやってこれたのは全て祐里がいたからなのだから。実際プログラムで死んでたとさえ思っているわけで

閑話休題、ようやくスイッチが入った気さえ覚えた

外野手が2人、頭上さえ越せば同点は確実な場面。メスナの直球には威力があるが、さっきのフォークでもう投げづらいだろう。そして俺がプルヒッターということもわかっているのだろうから、勝負は外の真っすぐだなと頭の中で結論が出た

ふとベンチに目を向けると、祐里は両手を合わせて目を閉じて祈るようなポーズをしている
もう見ていられないのだろうか
いや、俺絶対打つから。見ててくれよ。Cabron.

2球目を投じる前に、メスナは一度首を振ったので竜也の確信は自信に変わっていた
間違いないな、と。フォークはもう怖くて投げられない

メスナが投じたのは、外へツーシーム気味のストレートだった
竜也はそれを狙いすまし、レフト方向へ“引っ張る”感じでバットに完璧に乗せた

カキーンという会心の打球音と共に、今までにない手ごたえを感じるそれ
打った瞬間、抜けたなと確信した竜也は賢人の方へ視線を向けると鬼のようなスタートを切っていたのが見えたので、万田ちゃん抜かれるなよーと思いながら全力で駆け始める
竜也が全力疾走で1塁を回ったところで、急に歓声が一度途切れた気がした

え、まさか...取られた? 思い、減速を仕掛けると同時に、再び爆発するような歓声が上がった
うわ、マジか。最悪じゃねーかと自嘲し、天を見上げようとした時に目に入ったのは2塁塁審が腕を回している姿だった

え? と思いつつ、そのまま3塁ベンチへ視線を向けるとそれぞれがガッツポーズをしている状況だった
祐里は渡島に抱きつくように泣きじゃくっていて、俺もしかしてとんでもないことをした? とようやく我に返っている

がっくり項垂れた坂本や、恒星ナインがそれぞれベンチへ戻り始めているのを見て竜也は右拳を大きく突き上げて喜びを示した
スタンドにいる美緒、光、未悠と渚、そして...

祐里に伝えたい。ありがとうと

しっかりとウイニングランを敢行し、ホームベースを踏んでベンチへ戻ると竜也への手荒い洗礼が待っていた
ヘルメットを取られ、頭を叩かれ放題。もみくちゃにされつつ、竜也はただ笑っていた
そしてタオルを取っていた浩臣は、目を真っ赤にしながら竜也に最敬礼をしておどけてみせる

「恐れ入りました。さすがは星屑の天才」
言って、試合後の挨拶じゃねーかと慌ててみんなで飛び出していく

礼を終え、校歌斉唱も終えてからのスタンドの観衆へ挨拶に向かうと顔面ぐちゃぐちゃになった美緒と未悠の姿が最前列にあった

「よっ、千両役者」
「まさか本当に満塁ホームラン打つとは...杉浦、恐ろしい」
ゆっくり話をしたいのも山々だったが、竜也は頭を下げた後右拳を掲げてベンチへ戻っていく
大杉浦コールが再び巻き起こったので、ベンチに戻る前に再び頭を下げる羽目に

「言いたいことはたくさんあるが、まずは宿舎に戻るぞ」
渡島がそう促したので、各々帰り支度を推し進める
いつものように竜也だけが遅れているので、いつものように祐里が静かにその様子を見守っていた

「ビックリした。また倒れたらどうしようと思ったぞ」
祐里がそう茶化してきたので、竜也はあの時のことかと感じて思わず吹いてしまっている
“第1号本塁打”の際、ホームに到着した同時に倒れたアレ

「今日は元気ですよ。全てこのグローブのおかげです」
言って、竜也はありがとうと続けてニヤリと笑った


§


数日後

函館に戻り、甲子園に備えて軽い練習を終えたある日
竜也と祐里は、いつものようにラッピへ寄り道をすることに
その道中、祐里がふと何かを思い出したかのように一人頷いている
それで竜也がどした? と聞くと、祐里はにっこりと微笑んで竜也の目をしっかりと見据えた

「面白い話聞いたんだよね。恒星の中田ね、あの試合前に井口をベンチ裏で殴ったのがバレて1回で交代したらしいよ」

とんでもないネタだった。おい、嘘だろ? と竜也が素で返すと、祐里はあははと笑ってそれを否定してみせる

「だからね、あの試合負けててもうちが甲子園だったっぽいよ。高野連に報告して、夏大会の補欠と秋大会を辞退することになったって監督が言ってたさ」
オイオイとしか思えなかったが、せっかくの満塁弾が徒労に思えてきたのがちょっと切ないところ
まさに儚き夢

「竜は満塁男だね。駒田ってこれから呼ぼうかな」
とんでもない提案をされたので、竜也はCabron.と呟くと同時、まだついてもいないラッピの請求書を取り出すとそれを祐里に渡して足早に駆けている

「おい、待て。逆転の杉浦竜也ー」
祐里はまたあははと笑ってその後を追った

あの日、あのホームランの直前
電光掲示板に一通の応援メッセージが流されていた

『杉浦ってのは制御不能なんやて。制御不能って事はよ、あいつよ、理性がブッ飛んでよ、やっていい事といけねぇ事の区別がつかねぇってことだろ?そんなヤツ、決勝戦戦出すなよ!』
宇和島の恥くん(18歳・東京在住)

一体誰が送ったのか、今となっては誰も知らない


-Fin-